品川駅周辺 京浜急行線計画の遺構解体終了(2015/07/18)
戦前に計画・着工され、戦争の激化で未成線となり、
長いこと品川駅北方に残っていた「京浜急行線計画」(※)の未成線遺構。
解体が全て終わったとのことで、7/18(土)に様子を見てきました。
※京浜急行線計画
当時、東海道線と線路を共用していた横須賀線を、東京駅~品川駅間で分離して、
京浜線に設定する急行列車(→京浜急行線)と共に、東京駅~品川駅間の新設線を使用する計画。
横須賀線の列車が、東海道線と京浜急行線(下り線)の線路を乗り越すために
建設された立体交差のアプローチ部(未完成)が、品川駅北方に残っていました。
詳細は、レスポンスの記事(2014年6月30日)などを参照のこと。
7/18の様子だけではなく、昨年の解体前の様子から順に載せていきます。
<2014年3月15日>
解体工事着手前の様子。
未成線遺構の2/3程度は高架構造で、高架下は倉庫として使用されていました。
<2015年6月14日>
2014年6月頃に、高架橋下の倉庫の壁が撤去され、解体の準備が行われました。
<2014年11月29日>
倉庫の壁の撤去後は、しばらく動きがありませんでしたが、
11月下旬に、全体の1/3程度に、解体時のガレキ飛散防止用のパネルが設置されました。
<2014年12月6日>
<2014年12月28日>
東京寄り1/3の解体はあっという間に終わり(1~1.5週程度?)、
12月下旬には、さらに1/3にも飛散防止パネルの設置準備が行われました。
<2015年1月24日>
2014年12月末頃にパネルが設置された部分の解体は、2015年の1月前半で終わり、
2015年1月下旬には、最後の1/3、盛土構造の部分にも飛散防止用のパネルが設置されました。
<2015年5月>
<5月2日>
しかし、残った1/3の解体は何故か行われず、
5月頃には、飛散防止用のパネルがいったん外されました(パネルの足場はそのまま)。
朝日新聞フォトアーカイブより過去の写真を掲載する、「時どき 街まち」というコラムによると、
線路が敷設されていない未成高架橋の上では、戦後すぐの食料難の時代に麦が栽培されていたとか。
(「時どき 街どき 橋の上で麦作り 1947年6月・品川駅付近」
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11840380.html 朝日新聞 2015年7月3日配信)
<2015年7月3日>
1月以来、解体が止まっていた未成線遺構ですが、
7月上旬に再び飛散防止用のパネルが設置され、解体が再開されました。
7/3時点で、盛土と海側の擁壁の大半が撤去されていました。
<2015年7月11日>
1週間程度で残っていた部分の解体はほとんど終わり、
7/11時点で、擁壁のごく一部が残るのみとなりました。
<2015年7月18日>
品川駅北方にあった「京浜急行線計画」の未成線遺構は、戦前に建設された構造物が、
都心部という立地にもかかわらずしっかりと残っている場所でしたが、
ついに全ての解体が終了しました。
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コメント
はじめまして。
本の編集をしております、
ロム・インターナショナルと申します。
京浜急行線計画の記事を興味深く読ませていただきました。
高架橋解体までのお写真を
本に掲載させていただくことは可能でしょうか?
詳細についてご連絡いただけますと幸いです。
なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。
投稿: ロム・インターナショナル | 2020年1月28日 (火) 11時35分
はじめまして。隔週刊『JR全路線DVDコレクション』の編集をしております杉本と申します。
記事を興味深く拝見させていただきました。
ここに掲載されている京浜急行線の高架遺構の写真をお借りすることはできますでしょうか?
使用を希望しているのは倉庫として使用されている当時の写真です。
もしご提供いただけるようでしたらご連絡いただければ幸いです。
どうかよろしくお願い申し上げます。
杉本聖一(090-xxxx-xxxx)
投稿: 杉本聖一 | 2022年2月12日 (土) 11時05分